私と音楽 ハードロック編2 Hanoi Rocks(ハノイ・ロックス)とMichael Monroe(マイケル・モンロー)

最近はオーディオネタよりも音楽ネタのほうが筆が進むamahikasです。
オーディオネタも書きたい記事がたくさんあるのでのんびりと気持ちが赴くままにやっていきます。

さて、今回はハードロック編第2弾です。
前回はThin Lizzyとフィル・ライノットを紹介しました。
「悲劇」(Tragedy)という意味でこの二つのバンドは私の中でつながるんですが、リアルタイムで聴いていただけにハノイ・ロックスはQueenやAC/DCに次ぐ思い入れがあります。
今回はハノイ・ロックスの作品だけでなく、フロントマンだったマイケル・モンローとその他のメンバーのソロ作品についても紹介していきたいと思います。

Hanoi Rocksと私

ハノイ・ロックスは1980年にフィンランドのヘルシンキで結成されます。当時は、ボーカルのマイケル・モンロー、ギターのナスティ・スーサイド、ベースのサム・ヤッファのバンドにギターのアンディ・マッコイが加入する形で結成をしました。

ギターのアンディ・マッコイとマイケル・モンローによってフィンランドのヘルシンキで結成されます。その後に
1981年にデビュー作の『Bangkok Shocks Saigon Shakes』を、1982年に2作目の『Oriental Beat』とコンピレーションアルバムの『Self Destruction Blues』を発表します。
フィンランド国内で成功を手にしたことからロンドンに活躍の場を移しますが、この頃にドラムのラズルが参加をし、黄金期のラインナップが完成します。

1983年には3作目の『Back To Mystery City』を発表します。私が初めて聴いたのもこのアルバムです。
ハノイ・ロックスの存在は『Back To Mystery City』以前から知っていたのですが、日本ではDuran DuranやCulture Clubのように扱われていたことから、積極的に聴こうという気にはなりませんでした。
『Back To Mystery City』を聴いたのは友人から貸してもらったのがきっかけでした。

1984年9月にに4作目の『Two Steps From The Move』を発表します。
このアルバムはメジャーレーベルのCBSからリリースされたということもあり、大々的にプロモーションが行われました。それまでの作品とは違ってサウンドプロダクションも良かったですし、楽曲もハノイ・ロックスらしさを残しつつ、洗練されたものになっていました。
イギリスや母国フィンランド、日本などでは高い人気を誇っていたハノイ・ロックスですが、いよいよこのアルバムで全米に進出するという重要な時期でしたが、1984年の12月にモトリー・クルーのヴィンス・ニールが運転していた車が事故を起こし、同乗していたドラムのラズルが亡くなってしまいます。

バンドは気丈に残りのライブをこなしましたが、1985年に入るとサム・ヤッファが脱退したのに続いて、マイケル・モンローも脱退を決意します。結果的に、解散という結果を迎える事になりました。
黄金期とは言ってもハノイ・ロックスの歴史はあまりにも短期間で閉じてしまいます。
この後、メンバーはそれぞれにソロ活動をしたり、一緒にバンドを組んだりしますが、どのプロジェクトも大きな成功には至らないまま、時が過ぎていきます。

私とハノイ・ロックスの話に戻しましょう。
『Two Steps From The Move』は私も大好きなアルバムですが、1984年当時はNight RangerからJudas Priest、AC/DC、そしてスラッシュメタルと短期間でHard Rock/Heavy Metalを聴き漁っていた時期だったので、ハノイ・ロックスにはそれほどのめり込みませんでした。
私の中でハノイ・ロックスは独特の世界観は持っているもののロック以上ハードロック未満という存在だったので、後回しになっていたというのが正直なところです。

本格的にハノイ・ロックスを聴くようになったのはラズルが亡くなった後の1985年です。
この時期に日本独自で『Million Miles Away』というベストアルバムが発表されたのをきっかけに『Back To Mystery City』も購入しました。この当時はまだレコードでした。

1989年にマイケル・モンローが2作目のソロアルバム『Not Fakin’ It』を発売したのを機に私の中でハノイ・ロックス熱が再燃しました。
ちょうど日本でもハノイ・ロックスの旧作品がCD化された時期だったので1989年から1990年にかけて旧作品を買い集めました。

ハノイ・ロックスの旧作品はどれも素晴らしくて、改めて偉大なバンドだったと認識するのですが、残されたメンバーがハノイ・ロックスとして活動をすることはなく、サム・ヤッファやナスティ・スーサイドがマイケルと一緒にライブをした、録音をしたで一喜一憂している時期でした。
ハノイ・ロックスのメインソングライターであったアンディ・マッコイの活動はあまり芳しくなかったので、しばらくはマイケルの活動を追っていました。

2001年、ついにマイケルとアンディーが一緒に活動を始めます。
そして2002年にハノイ・ロックスを再結成するということが決まりました。
サムとナスティは参加しませんでしたが、バンドのメインソングライターとフロントマンが再び組むということに大興奮しました。

結果的に2002年に『Twelve Shots on the Rocks』、2005年に『Another Hostile Takeover』、2007年に『Street Poetry』の3作品を残して、マイケルとアンディは再び袂を分かつことになり、同時にハノイ・ロックスも解散となりました。
しかし、私はこの3作品だけでも大満足でした。この二人がそれほど長く一緒に活動をするのは難しいだろうと思ってましたし、来日公演に行ってもアンディの体力が衰えてきてるのは明らかでした。一方のマイケルはとてもストイックな人でライブを大事にし、常に全力投球なミュージシャンです。いつ見に行っても声はよく出てますし、ステージ上での動きも多彩です。

いろんな理由があったとは思いますが、再び解散をするという結果になったものの3作品だけでもともにマイケルとアンディが活動を共にしてくれたのはファンとして嬉しかったです。

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